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2022年プロ野球「現役引退」選手まとめ(内海・福留・糸井・能見・明石・内川・嶋・坂口・十亀・武隈)

 

 

2022年プロ野球「現役引退」選手(発表順)

 

 

 

 

内海哲也投手(40)

 2000年ドラフト会議でオリックスの1位指名を受けるが入団を拒否。2003年ドラフト会議で自由獲得枠にて巨人に入団する。

 2006年に先発ローテーションに定着して12勝、防御率2.78を記録すると、3年連続で二桁勝利をマーク。とくに2007年は14勝、180奪三振防御率3.02の好成績で最多奪三振のタイトルを獲得し、チーム5年振りのリーグ優勝に貢献する。

 2009年は9勝に終わるも、2010年から再び4年連続で二桁勝利をマーク。2011年、2012年と2年連続で最多勝を獲得し、2012年には日本シリーズMVPも受賞する。

 2014年以降は故障が増え成績も低迷。2018年オフにFA入団した炭谷銀仁朗選手の人的補償として埼玉西武へ移籍する。移籍後は若手投手の良き手本としてチームに好影響を与えるも、自身は成績を残せず、2022年限りでの現役引退を表明する。

 

内海哲也|内海哲也引退特設サイト

 

 2004年に就任した堀内恒夫監督に才能を見出され、2006年に復帰した原辰徳監督の第2次政権時代に左のエースとして活躍したのが内海投手でした。結果が出なくても我慢して起用した堀内監督、厳しい言葉を投げ掛けながらも期待し続けた原監督によって、才能が開花したと思います。

 近年の巨人で生え抜きエースと呼ばれた投手は、成績が下降すると期間限定で抑えに転向されるのが通例となっていました。1990年代では斎藤雅樹投手、桑田真澄投手、槙原寛己投手の3本柱が、2000年代では上原浩治投手、高橋尚成投手、澤村拓一投手などが、先発から抑えに転向しています。一方、内海投手は巨人に所属していた15年間で324試合に登板しましたが、そのうちの309試合が先発投手としての起用でした。先発投手としての期待が高かった現れだと思います。

 FAの人的補償として入団した西武でも決して腐ることなく、黙々と練習に励む姿は、若い投手にとって本当に良いお手本になったことでしょう。成績が下降していたにもかかわらず人的補償に指名し、移籍後も成績が残せていない中で3年間もチームに所属できたのは、内海投手の努力と人望の賜物であったと思います。本当にお疲れさまでした。

 

 

 

 

福留孝介選手(45)

 1995年ドラフト会議で7球団競合の末、近鉄が交渉権を獲得するも入団を拒否。1998年に中日を逆指名してドラフト1位で入団する。

 2002年に外野手へ転向すると打撃・守備ともに才能が開花。この年打率.343で初の首位打者を獲得すると、以後日本を代表する強打・堅守の外野手として活躍する。

 2006年に開催された第1回WBCでは準決勝の対韓国戦で代打先制2ランを放つ活躍で、日本の初優勝に大きく貢献。2007年オフにはMLBカブスへ移籍し、以後5年間でMLB3球団でプレーする。

 2012年に日本球界復帰を決め阪神へ入団。2016年に日米通算で2,000本安打を達成するなど、外野手のレギュラーとして活躍する。

 2020年オフに古巣の中日に復帰。代打の切り札として期待されるも思うような成績が残せず、24年間の現役生活を終える決断をする。

 

中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト - 福留孝介選手引退特設ページ

 

 中日ドラゴンズは1990年代中盤から遊撃手のレギュラー定着が課題でした。1987年に入団した現監督の立浪和義選手や、その立浪選手と入れ替わりでコンバートされた種田仁選手以降、レギュラーを張れる遊撃手が現れず、トレード、ドラフト、新外国人選手などによる補強を繰り返していました。逆指名で獲得した鳥越裕介選手、愛知大学リーグの通算安打記録を持つ神野純一選手、韓国のスーパースターだった李鍾範(リー・ジョンボム)選手、阪神との2対2のトレードで獲得した久慈照嘉選手など、数多くの選手を獲得しましたが、いずれも完全なレギュラーにはなれませんでした。

 そして1995年オフのドラフト会議で交渉権を外し、3年越しで1998年オフに中日に入団した福留選手には非常に大きな期待が寄せられました。ところが入団当初の福留選手は、打撃は荒く内野守備も稚拙で、期待通りの活躍はできませんでした。

 転機となったのは2002年。福留選手は外野手転向と同時に打撃も覚醒し、打率も長打も残せるスター選手に変貌。2000年代の常勝ドラゴンズに欠かせない戦力となりました。WBCでの代打ホームランも、彼の勝負強さを象徴するシーンです。今後は指導者としてドラゴンズにのユニフォームを着てもらいたいです。

 

 

 

 

糸井嘉男選手(41)

 2003年ドラフト会議で自由獲得枠にて日本ハムに投手として入団。入団後2年間で1軍登板がなく、3年目に外野手へコンバートされる。

 2009年にセンターのレギュラーとなり、同年、打率.306、130安打、24盗塁の活躍でベストナインゴールデングラブ賞を獲得。以降、日本ハムの不動の外野手として活躍する。

 2013年にオリックスへ移籍すると、移籍2年目の2014年に打率.331で初の首位打者を獲得。2016年には35歳ながら53盗塁を記録して初の盗塁王に輝く。

 2016年オフにFAで阪神へ移籍。2020年頃からケガに悩まされて記録が伸ばせず、2022年シーズン限りでの引退となる。

 

糸井嘉男引退特設サイト|ホーム|阪神タイガース公式サイト

 

 糸井選手は、投手としては力を発揮できませんでしたが、野手転向後は類まれなる身体能力を生かして攻守に大活躍しました。レフト・中田翔選手、センター・陽岱鋼選手、ライト・糸井嘉男選手で固めた日本ハム外野陣は、当時の12球団No.1であったと思います。

 2012年オフに大谷翔平選手が日本ハムに入団すると、投手と外野手の“二刀流”に挑戦する大谷選手に押し出されるようにしてオリックスへトレード移籍されます。しかしながら、移籍後に首位打者盗塁王を獲得するなど30歳を過ぎてなおも進化を続ける糸井選手は、いつしか「超人」と呼ばれるようになりました。大型契約でFA移籍した阪神では全盛期のような活躍はできませんでしたが、最後までファンを魅了するパワフルプレーを見せてくれました。本当にお疲れさまでした。

 

 

 

 

能見篤史投手(43)

 2004年ドラフト会議で自由獲得枠にて阪神に入団。入団5年目の2009年に初めて規定投球回に到達し、13勝、防御率2.62、154奪三振の好成績を残す。

 その後も阪神の左のエースとして活躍し、2011年から3年連続2桁勝利を記録。2018年からは中継ぎ投手に転向し、同年、通算100勝を達成する。

 2020年オフにコーチ兼任投手としてオリックスへ移籍。2021年には中継ぎ投手としてチームのリーグ優勝に貢献する。

 

オリックス 能見篤史 引退会見「悔いなくやりきった」 | NHK | プロ野球

 

 即戦力左腕として阪神に入団した能見投手でしたが、入団当初は先発と中継ぎの配置転換を繰り返すなど苦しんでいました。2009年に13勝を挙げる活躍を見せてからは、井川慶投手に代わる左のエースとして活躍。しかしながら、勝ち運に恵まれないことも多く、13勝がキャリアハイの数字であり、2014年からは3年連続最多敗戦も記録しました。

 現役晩年は中継ぎ投手に転向。その後も先発時代と変わらぬポーカーフェイスで淡々と投げる姿が印象的でした。コーチ兼任投手として入団したオリックスでは、若手投手に積極的に助言をするなどチームの投手力アップに貢献し、チームは25年振りのリーグ優勝を果たしました。

 来年以降も投手コーチ専任でオリックスに残るとのことなので、今後も投手育成に尽力してもらいたいです。

 

 

 

 

明石健志選手(36)

 2003年ドラフト4位でダイエーに入団。

 2012年に遊撃手・二塁手三塁手として135試合に出場。自己最多の129安打、25盗塁を記録する。同年はオールスター戦にも出場を果たす。

 その後も代打・守備要員として一軍で活躍。また内野の全ポジションを守れるユーティリティプレイヤーとしてチームに貢献する。

 2018年に腰痛発症後はケガや不振が続き、2022年限りでの引退を表明する。

 

ソフトバンク明石が引退発表「19年間ホークスでプレー 誇り」 | NHK | プロ野球

 

 ダイエーに入団した最後の現役野手であった明石選手。チーム事情に合わせて遊撃手、二塁手三塁手一塁手とポジションを変え、時には外野での出場もありました。投手と捕手を除く7ポジションでプレーし、4番打者以外の全打順も経験。常勝ソフトバンクを陰で支えたユーティリティプレイヤーでした。

 毎年のように大型補強を敢行するソフトバンクにおいて、実働16年、現役19年もの長きに渡ってプレーをすることができたのは、明石選手の器用さの成すところだったと思います。今後もその経験を活かして、内野守備コーチあたりでソフトバンクに戻ってきてもらいたいです。

 

 

 

 

内川聖一選手(40)

 2000年ドラフト1位で横浜に入団。

 2008年に右打者として最高記録となる打率.378を記録し、首位打者最多安打(189安打)、最高出塁率(.416)のタイトルを獲得する。

 2009年の第2回WBCでは左翼手のレギュラーとして攻守に活躍し、日本の連覇に貢献する。

 2010年オフに地元九州のソフトバンクへ移籍。移籍1年目に打率.338を記録し、史上2人目のセ・パ両リーグでの首位打者を獲得するとともにシーズンMVPに選ばれる。2018年には史上51人目の通算2,000本安打を達成。

 2020年オフにヤクルトへ移籍するも目立った活躍はできず、2022年限りでNPB引退を表明する。

 

ヤクルト 内川聖一 現役引退を表明 セ・パ両リーグで首位打者 | NHK | プロ野球

 

 内川選手は、高卒入団当初からバッティング技術には定評があったものの、守備や送球に難がありレギュラー定着までに時間を要しました。2008年に横浜のコーチに就任した杉村繁打撃コーチの指導を仰ぐと、その打棒が一気に開花。この年に記録した打率.338は、現在でも右打者の最高記録であるとともに、同年のチーム勝率.338を上回る珍記録のおまけつきでした。

 勝利に飢えていた内村選手は、2010年オフに地元九州の強豪チームであるソフトバンクへの移籍を決断。常勝ソフトバンクでもその打棒を遺憾なく発揮し、移籍1年目に打率.338を記録して史上2人目のセ・パ両リーグでの首位打者を獲得するとともに、チームの8年振りの日本一達成に貢献してシーズンMVPにも選ばれました。

 ソフトバンク晩年、およびヤクルト移籍後は打撃力が低下し、出場機会も激減していました。本人はまだまだ野球を続けたいということなので、NPB以外でプレーを観る機会があるかもしれません。

 

 

 

 

嶋基宏選手(37)

 2006年大学生・社会人ドラフト3位で楽天に入団。3年目の2010年に正捕手の座につき、打率.315を記録するとともにベストナインゴールデングラブ賞(球団史上初)に選ばれる。

 2011年4月2日、東日本大震災復興支援のための慈善試合において、チームを代表したスピーチで発した「見せましょう、野球の底力を」との言葉が反響を呼ぶ。
 2013年の球団創設初のリーグ優勝・日本一に貢献。24勝0敗と大活躍した田中将大投手とともに最優秀バッテリー賞を受賞する。

 2019年オフにヤクルトへ移籍。2022年からはコーチ補佐を兼任していた。

 

元東北楽天、嶋基宏が引退表明 震災時「見せましょう、野球の底力を」(河北新報) - Yahoo!ニュース

 

 嶋選手は非常に頭の良い頭脳派捕手として活躍されました。岐阜県海津市出身で、高校時代は隣の愛知県の中京大中京高校まで電車で片道1時間半かけて通学しながらも、野球部の主将を務め、その上学業も優秀だったという逸話が残っています。

 楽天の大エース・田中将大投手とは同じ2006年ドラフトで入団しており、田中投手の活躍の陰には嶋選手のリードが大きく貢献したと言われています。また、楽天入団時に野村克也監督の薫陶を受けたことも、嶋選手の活躍には非常に大きかったと思います。

 リーグ優勝・日本一を達成して以降は、徐々に成績が下降し出場機会も減っていきました。ちょうどその頃、中日ドラゴンズでは正捕手・谷繫元信選手が引退をされましたので、岐阜県出身で中京大中京高校卒、大の中日ファンである嶋選手を全力で獲得してほしいと願っていたのを覚えています。中日・嶋が実現できなかったことは残念ですが、今後優秀な指導者となってプロ野球界に戻ってきてもらうことを願っています。

 

 

 

 

坂口智隆選手(38)

 2002年ドラフト1位で近鉄に入団。2005年の近鉄オリックスの吸収合併に伴いオリックス所属となる。

 2008年に外野手のレギュラーとなり142試合に出場。同年に自身初のゴールデングラブ賞を受賞する。以後、俊足・堅守・好打の外野手として活躍し、4年連続で150安打以上を記録。特に、2009年には打率.317、167安打(ともにリーグ2位)を記録し、2011年には自己最多の175安打を記録して最多安打のタイトルを獲得する。

 その後はケガや不振から出場機会が減少し、2015年オフにヤクルトへ移籍。移籍初年となる2016年から3年連続で150安打以上を記録するなど見事に復活を遂げる。

 2021年には自身初のリーグ優勝・日本一に貢献。2022年9月に現役引退を表明する。

 

引退へ ヤクルト 坂口智隆(38) 近鉄でプレーした最後の現役選手 | NHK | プロ野球

 

 2004年に近鉄オリックスに吸収合併されて誕生した「オリックス・バファローズ」には、両チームから有力選手が優先的に集められましたが、チーム成績は思うように向上しませんでした。清原和博選手、中村紀洋選手、タフィ・ローズ選手、アレックス・カブレラ選手といった長距離砲を集めても勝ち星は増えず、毎年のように監督が交代していたことを記憶しています。

 そんな時代に頭角を現したのが坂口選手です。長打力には欠けるものの、広角に打つシェアな打撃力や俊足を生かした内野安打で何度もチャンスメイクして、チームの勝利に貢献していました。

 ケガや不振が続いて出場機会を失うと、活躍の場を求めてヤクルトへ移籍。移籍後3年連続で150安打以上、打率.290以上を記録し、見事な復活劇を演じました。

 近鉄に所属したことがある最後のNPB現役選手であった坂口選手が引退し、一つの時代が終わった印象です。

 

 

 

 

十亀剣投手(34)

 2011年ドラフト1位で埼玉西武に入団。1年目から主に中継ぎ投手として41試合に登板し、6勝0敗9ホールド、防御率2.72の好成績を残す。

 2年目の2013年からは先発ローテーション投手に定着。2015年には自己最多の11勝を挙げる。

 2021年は再び中継ぎ投手に専念し40試合に登板。1勝1敗8ホールド、防御率3.38を記録する。

 

【西武】11年ドラ1十亀剣が引退、通算53勝「1000イニング達成できず心残り」(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

 

 先発・中継ぎ投手として活躍されていた十亀投手の突然の引退発表に驚きました。まだ34歳と若く、昨年も40試合に登板するなど活躍されていたので、とても残念です。

 十亀投手については、投球時のコントロールは良いのに、ゴロを捕球した後の内野への送球が不安定で、悪送球でピンチを広げてしまう場面が印象に残っています。それでも集中力を切らすことなく粘り強く投げている姿は大変立派でした。

 

 

 

 

武隈祥太投手(32)

 2007年高校生ドラフト4巡目指名で埼玉西武に入団。入団6年目の2014年に中継ぎ投手として一軍に定着し、47試合に登板して8ホールドを挙げる。

 2015年からは3年連続で60試合前後の登板数を記録し、二桁ホールドをマーク。

 2018年頃から成績が低迷し始め、2020年はわずか3試合の登板に留まるも、翌2021年には47試合に登板して9ホールド、防御率1.76という好成績を残す。

 2022年10月2日、シーズン最終戦の試合前に突然引退を発表。引退セレモニアルピッチを行った。

 

西武・武隈祥太のサプライズ引退発表に球場どよめき 高橋、増田とセレモニアルピッチで現役ラス投(西日本スポーツ) - Yahoo!ニュース

 

 武隈投手は、左の中継ぎ投手としてワンポイント、ロングリリーフ、敗戦処理と様々な役割をこなしてきました。また、チーム事情によっては先発投手を務めることもあり、まさに「どこでも使える便利屋」としてチームを支えました。

 今シーズンは開幕から二軍に留まり、長期間に渡って実戦登板を回避していたことから、左肩の調子が良くなかったのでしょう。便利屋としてフル回転した勤続疲労の影響と思われます。引退登板は果たせませんでしたが、粋なサプライズ演出によるセレモニアルピッチでファンに引退を報告できたのは良かったと思います。