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2022年プロ野球「退団」選手まとめ(チェン・松田・平田)

 

 

2022年プロ野球「退団」選手(発表順)

 

 

 

 

チェン・ウェイン投手(37)

 2003年末に中日に入団。

 2008年に先発投手として頭角を現すと、翌2009年は8勝ながら4完封、防御率1.54をマークして最優秀防御率のタイトルを獲得する。

 2012年にMLBオリオールズへ移籍。2014年に自己最多の16勝を挙げるなど4年間で46勝を記録する。

 2016年にMLBマーリンズと大型契約を結ぶも、相次ぐ故障で力を発揮できず契約を残したまま解雇される。

 2020年9月にロッテに入団して日本球界に復帰。同年オフに阪神に入団し、2021年に日本復帰後初白星を挙げるが、2022年6月に契約を解除される。

 

【阪神】チェン・ウェイン退団へ「復活を待っていたが」日米95勝経て21年加入も1勝止まり - プロ野球 : 日刊スポーツ

 

 落合博満監督が築き上げたドラゴンズ黄金時代に左のエースとして活躍していたのがチェン投手でした。伸びのある直球と意表を突くスローカーブはかつての左腕エース今中慎二さんを彷彿とさせるもので、吉見一起投手とともにドラゴンズ投手陣を引っ張っていました。

 その安定した投手力MLBでも発揮され、オリオールズでは4年間で46勝を挙げる活躍振り。マーリンズ移籍~日本球界復帰後は残念な結果でしたが、記録よりも記憶に残る投手だったと思います。

 

 

 

 

松田宣浩選手(39)

 2005年の大学生・社会人ドラフトで希望入団枠によりソフトバンクへ入団。入団3年目の2008年に三塁手のレギュラーに定着し、打率.279、17本塁打を記録する。

 2011年は自身初の全試合フルイニング出場を果たし、自己最高の打率.282、25本塁打、83打点、27盗塁を記録。チームの2年連続リーグ優勝とソフトバンクホークス初の日本一に貢献する。

 2015年からは5年連続で全試合に出場。とくに2015年は自己最多の35本塁打、94打点を記録し、チームの2年連続日本一に貢献する。

 2020年から成績が下降し、2014年から続いていた連続試合出場記録もストップ。2022年シーズン中に来季の構想外の話を受け、他球団での現役続行を希望しソフトバンクを退団する。

 

松田選手が会見「まだまだ野球が大好き、体も元気」今季限り退団へ|福岡ソフトバンクホークス

 

 2004年に野球界を騒がせたプロ野球再編問題。オリックス近鉄の球団合併に端を発し、プロ野球初のストライキ東北楽天の新規参入など、野球界の組織図が大きく変わりました。そして2005年初頭、ダイエーからソフトバンクに球団が譲渡され、ソフトバンクホークスが誕生しました。

 ソフトバンクは初年度こそリーグ優勝を果たすものの、その後3年間は不遇の時代が続きました。ダイエー時代に主力だった小久保裕紀選手や松中信彦選手は衰えが見え始め、井口資仁選手や城島健司選手はMLBへ移籍。斉藤和巳投手はケガで投げられない状態が続きました。1995年からチームを率いた王貞治監督も監督を退任し、一時代が終わりを告げました。

 こうして世代交代を進める中でレギュラーを獲得したのが松田選手でした。松田選手と言えば、チームを鼓舞するリーダーシップと、ホームランを打った後の「熱男~!」のパフォーマンスでお馴染みです。後に、ホームラン後の観客と一体となった掛け声のパフォーマンスが野球界で定着しましたが、その走りだったのが松田選手でした。通算300本塁打も達成し「熱男~!」で何度も観客を沸かせてくれました。

 ソフトバンクは退団することになりましたが、松田選手本人は現役続行を希望しているとのことです。全盛期の力はないかもしれませんが、強いリーダーシップとムードメーカーとしての存在感は、今の中日ドラゴンズに欠けているピースと言えるでしょう。中日ドラゴンズは是非松田選手の獲得に動いてもらいたいです。

 

 

 

 

平田良介選手(34)

 2004年春の選抜高校野球で1試合3本塁打を記録。2005年の高校生ドラフトで中日に1巡目指名され入団する。

 2011年6月に史上8人目の2試合連続サヨナラ本塁打を記録。同年自身初の二桁本塁打をマークし、チームの2年連続優勝に貢献する。

 2013年に右翼手のレギュラーに定着。2018年には自己最高の162安打、打率.329を記録する。

 2020年頃から成績が低迷。2021年には「異型狭心症」との診断を受ける。2022年に来季の構想外であると伝えられ、現役続行を目指し退団を決意する。

 

平田が中日退団へ 他球団で現役続行目指す―プロ野球(時事通信) - Yahoo!ニュース

 

 平田選手は、大阪桐蔭高校時代からパンチ力に定評があり、辻内崇伸投手(巨人)、鶴直人投手(阪神)、 岡田貴弘(現T-岡田)選手(オリックス)とともに浪速の四天王と呼ばれた逸材でした。2年生春の甲子園で見せた1試合3本塁打は今でも語り草となっています。

 中日入団後も、広いナゴヤドーム(現バンテリンドーム)で本塁打を量産できる真の長距離砲になることが期待されましたが、17年間の現役生活において自己最多のシーズン本塁打が15本、通算本塁打も105本と物足りない数字でした。

 その一方で守備力や肩力は申し分なく、チームのピンチを救う好守備を何度も見せてくれました。また、おとなしいチームにおいて貴重なムードメーカーでもありました。近年は病気やケガが多く満足なプレーができなかったのが悔やまれます。

 ちなみに、後に入団する堂上直倫選手や高橋周平選手も、平田選手と同様に長打力を期待されながら、打力よりも守備力が向上した選手となりました。中日の育成方針が垣間見えます。